たけちゃん先生の中学入試国語読解法講座

中学受験専門塾で20年指導を続けている筆者が、20年の間に確立した国語の読解法のヒントを綴ると共に、日々の授業の中であった中学受験生のリアルな現在についても発信していきたいと思います。

緊急事態宣言!

以前、当ブログにてコロナによる休講の話題について綴りましたが、授業再開後は春期講習などもあり、忙しいながらも充実した日々を過ごしておりました。

しかし、2020年4月7日、とうとう緊急事態宣言が発出されてしまい、学習塾業界は再び先の見えない長い休講へと入っていきました。

私自身、以前の休講の際はここまで事態が悪化するとは考えておりませんでした。

現段階では、来年度の入試が行われるかも危うい状況ですし、たとえ入試が行われたとしても、受験生にとってはかなり厳しい状態で入試本番を迎えてしまう事になるでしょう。

現在、私の塾では映像授業で対応しておりますが、生徒の立場でライブ授業と映像授業の両方を経験した事のある私から言わせてもらうならば、「空気」が全く異なると思います。

相手はまして小学生!

先生に見られているという緊張感の中で授業を受けるのと、話を聞いていなくても一方的に授業が進んでいく映像授業の差は何倍も違うと思います。(実際、私は映像授業を見ながら眠ってしまった事がありました。)

そんな中で、普段のライブ授業並みの緊張感を持って映像授業を受ける事の出来る受験生が果たしてどれくらいいるのでしょうか?

この空白期間を如何に密度の濃い時間に出来るかが2021年度の中学入試の合否を左右すると言っても過言ではありません。

こんな時、我々塾講師に一体何が出来るのか?

専任講師の方々は動画の撮影や生徒の課題チェックなどで出勤されていますが、私の様な非正規雇用の時間講師は自宅待機を余儀無くされ、生徒達の為に何もしてやる事が出来ません。

今は一日も早い授業再開を願うばかりですが、あまりにも長期の休講になってしまうと、我々講師の授業勘にも影響しかねないですし、今まで構築してきた生徒達との信頼関係もまた築き直さなければなりません。

一日も早く当たり前に授業の出来る環境が戻ってきて欲しいものです。

選択肢問題の解き方

こんにちは、たけちゃんです。

今回は国語の読解問題を解く上で、なるべく落としたくない選択肢問題の解き方について綴っていきたいと思います。

選択肢を解くに当たっては大きく分けて「即答法」「消去法」「比較法」の3つがあります。

「即答法」は主に言葉の意味を答える形式の問題で、かつ文脈からは言葉の意味が推測しづらく、その言葉の意味を知らなくては解けない問題に使う解答法なので、ここでは割愛します。

主に読解問題の文章内容に関する選択肢問題では、「消去法」と「比較法」を使って正答を導き出していきます。

これも私が現場でよく経験する事なのですが、内容に関する選択肢問題を「即答法」で解いている生徒が見受けられます。

よほどの基本的な問題でない限り、パッと見て「これが明らかに正解だ」という選択肢は無く、入試問題レベルの選択肢問題になってくると、必ず一つや二つは紛らわしい選択肢が混じっているものです。

四つ乃至五つある選択肢の中から「正しいもの」を一つ選ぶより、「間違っているもの=本文には書かれていないもの」を消していってあげる方が、はるかに楽ですし、正答率も上がります。

ですから、私が授業で生徒たちに選択肢問題を教える際には、間違っている選択肢の中のどこの部分が本文に書いていないかを、横に線を引かせて、線の上に×をつけさせて、一つ一つ誤った選択肢を消させています。

こうしていくと、5択が4択、3択、2択へと減っていき、簡単な問題なら最終的な答えまで浮かび上がってきます。

これが選択肢問題の王道である「消去法」です。

しかし、大概の選択肢問題では、誤りと判定できる選択肢を消去していっても、2択あるいは3択以上、絞り切れない場合があります。

そこで登場するのが「比較法」です。

残った2つ乃至3つの選択肢を細かく比較します。すると、選択肢の文章全体を見ると合っているような気がしても、一部分だけ本文に書かれていないことが書いてあったりします。

特に、「必ず〜」などの言葉が用いられている「絶対表現」や「〜だけ」などの言葉が用いられている「限定表現」を用いている選択肢は、まず不正解だと思って下さい。

なぜなら国語の論理に於いて0か100というものはまず無いと言ってもいいからです。

そういう精査をして、どこにもケチのつけようのない、たった一つの選択肢を炙り出していくのです。

では、例題を用いて実際に解いていきましょう。

平成27年度 フェリス女学院中学の問題です。

 

「とにもかくにも、」彼はなお床の上で考えた。「ふられた虎一役は、うまくやらなければならない。獣にふんすることが、何も恥じょくというわけではない。獣でも鳥でも、うまくやりすえすれば立派な役者なのだ。そして何といっても、虎をやれる役者は、日本中におれしかないのだ。そうだ。一つ虎をうまくやって見物をわっといわしてやろう。そしてほかの役者どもをけとばしてやろう。今のおれが生きて行くには、そうするよりほかはないのだ」

 彼は急いで起き上がると、階下にいる妻を呼んで、着物を着かえた。

 そしてもう晴れ晴れした顔つきをしながら、階下へ下りて行った。

 

久米正雄『虎』 より

 

問  

傍線部のときの「彼」の説明としてふさわしいものを選びなさい。

 

1. 生活のためには役者としてのほこりを捨て、たとえ動物の役であろうとやらないわけにはいかないと、気持をきりかえた

 

2. 演劇の実力者である自分がたかが動物の役であれこれなやむことはないと思いいたり、世間の悪い評判を頭から取りはらった

 

3. 虎などというやりがいのない役を自分におしつけた演劇仲間たちの悪意を感じ、なんとしても彼らをやりこめようと奮起した

 

4. 虎を演じることに恥ずかしさを感じていたが、虎を演じられるのは自分しかいないと考えることによって自信を取りもどした

 

では、選択肢を順に吟味していきましょう。

1.は「生活のために」と書いてありますが、「彼」が生活に困窮している様子は文章からは読み取れないので×

2.は虎の役を演じる事に関して、世間がどう捉えているかが本文中には一切書かれていないので×

3.は「演劇仲間たちの悪意」など本文中からは読み取れませんし、「彼らをやりこめよう」という気持ちで虎の役をやってやろうと決意した訳ではないので×

 

4..は「虎を演じることに恥ずかしさを感じていた」の部分が本文の「獣にふんすることが、何も恥じょくというわけではない」と書いてある事から、「彼」は今まで虎の役を演じることに恥ずかしさを感じていた様子が伺えます。

また、「虎を演じられるのは自分しかいない」

の部分が本文の「虎をやれる役者は、日本中におれしかないのだ」の部分に合致しますし、「自信を取りもどした」の部分は本文の「そうだ。一つ虎をうまくやって見物ををわっといわしてやろう」の部分から、それまで虎の役を演じる事に対して後ろ向きだった「彼」が自分の役柄に自信を持って、やってやろうという前向きな気持ちになった事も読み取れます。

ですから、4.は正答の候補として残しておきます。 

これで1.から4.までの選択肢の吟味が終わりました。

唯一ケチがつけられなかったのは4.だけでしたので、正解は4.という事になります。

今回は比較法を使わずに答えが出ましたが、正答の候補が複数出た場合でも、一つ一つの選択肢を細かく本文と照らし合わせれば、必ず一つだけ本文の内容と矛盾しない選択肢が浮かび上がってきますので、選択肢の問題を解く際は、是非「消去法」と「比較法」を活用して、確実に得点していって下さい。

コロナショックと臨時休講

2020年3月4日、経済産業省からの要請により、私の勤務する塾も3月15日まで全面休講となりました。

学生時代のアルバイトも含めると、約25年間塾講師を務めて参りましたが、これだけの長い期間休講になったというのは初めての経験です。

ほぼ首都圏の塾に勤務していたので、東日本大震災の時も、震災当日こそ休講になりましたが、翌日からは通常通り授業をしておりました。

二週間の臨時休講は、どこの塾さんも軒並み実施されたようで、生徒さん、保護者様にとっても、大いにお困りになった事と思いますが、我々塾側にとっても、この二週間はかなりイレギュラーな対応を取る事となりました。

ご家庭にはメールにて休講のお知らせは配信しているのですが、現在はメールを開かない保護者様も中にはいらっしゃるので、休講の連絡を教室スタッフ全員で分担して、全家庭に電話にてお伝えしました。

予定していた授業は映像配信。模試も自宅受験となりました。

しかし、何より今回の休講で痛感したのは、「塾講師は授業をやってナンボ」という事でした。

「子供たちの顔が見られなくて寂しい。」なんていう感傷めいた事を申すつもりはありません。

自分が徹底的に予習した教材で、思い描いていた通りの授業が出来た時の快感は、他には代えがたい喜びがあります。

全く授業の出来ないこの2週間がどれだけ辛かったか…。

そして、3月13日。本社より3月16日からの授業再開が通達されました。

やっと授業ができるという喜びと共に、この2週間のブランクが授業に影響しないだろうかという不安もありました。

自分の頭の中で思い描いていた授業の展開と、実際の生徒たちのリアクションが異なってしまう事は普段の授業に於いてもままある事です。

それが2週間も間が空いてしまったのですから、自分の思いとは裏腹に授業が空回りしてはしまわないか心配だったのです。

そして迎えた3月16日の授業再開日。私の心配は杞憂に終わりました。

生徒たちは私たち講師以上に授業に飢えていたのです。

学校も無く、塾まで休みになってしまったこの2週間、私の想像以上に生徒たちは授業に飢えていました!

お陰で授業は休講前よりも、程よい緊張感の中、生徒たちが意欲的に参加してくれ、最高のものを作り上げる事が出来ました。

今年の受験生にとってはコロナによる臨時休講という、例年の受験生にはなかった試練がありましたが、その分授業の大切さや授業を受けたくとも受けられない辛さというものを得る良い経験ができたのではないでしょうか?

もちろん私も、今回の臨時休講で授業が出来ない辛さを経験出来たので、今後もより一層、毎回毎回の授業を大切にして参りたいと思います。

接続語問題の解き方

こんにちは、たけちゃんです。

今回は接続語問題の解き方について綴っていきたいと思います。

まず、接続語ってどんな言葉なんでしょう?

私はよく接続語の説明を初めてする時に、「文と文、言葉と言葉を結んでくれる接着剤の様な言葉」という表現をします。

しかし、ここで生徒達の中にはある疑問が残ります。「文と文を結ぶ為の言葉なのに、何で接続語は何種類もあるんだろう。」という疑問です。

そこで私はこう説明します。

「接続語はただ単に文と文を結ぶだけでなく、前の文と後の文とがどういう風につながっているかを教えてくれる言葉なんだ。」と。

皆さんも、文章を読んでいる時や日常会話などで、接続語によってその後の話の展開が予想出来る場合が少なからずあるかと思います。

例えば、それまで自分を褒める様な事を言われた後に、「でもね」と言われれば、「ああ〜この後は自分を否定する様な発言をされるんだな。」と分かったり、延々と長ったらしい話をされた後で「つまりね」と言われれば、「ああ、今までの話を分かり易く言い換えてくれるんだな。」と分かったりしますよね。

つまり、我々は無意識のうちに接続語によって、後に続く文脈におおよその見当をつけながら、会話をしたり、文章を読んだりしている訳ですね。

では、中学入試で接続語の問題を出題する出題者は、どういう意図を持って接続語の問題を出すのでしょうか?

私はこう解釈しています。

「接続語の問題が解ける」→「接続語が無くても前後の文章の繋がりが読み取れている」→「文章が正確に読めている」

このような考え方の下、接続語の問題を出題しているのではないかと推測します。

ですから私達解答者は接続語の問題を正確に解いて、接続語が隠されていても、前後の文脈をきちんと追えている事を出題者にアピールしなければなりません。

そこで私は授業で、次の3ステップで指示語の問題を解くよう、生徒たちに指導しています。

 

1. 前後見て

2. つながり考え

3. 入れてやる

 

中でも私が生徒たちに特に徹底させているのが、2.の「つながり考え」の項目です。

接続語の問題の答え方でありがちなのが、選択肢の接続語を一個ずつ当てはめていって、最も自然なつながりになるものを選ぶという、所謂「当てはめ方式」です。

正直、このやり方でも解けてしまう問題もあります。特に日本語に対する感覚が鋭い生徒ほど、解けてしまいます。

なぜ解けてしまうかと言うと、私達の殆どは日常生活で日本語を用いて生活しています。

毎日日本語を使っていく中で、自然と日本語に対する言葉の感覚は磨かれていきますので、言葉で明確に説明出来なくても、空欄を埋めるのに相応しくない接続語には身体が違和感を感じます。

その「絶対語感」とも言うべき感覚で、受験生の多くは接続語の問題を解いてしまうのです。特に普段から活字の文章に慣れ親しんでる受験生や、日本語に対する感覚が鋭敏な受験生程、「当てはめ方式」で解けてしまうのです。

では、そんな七面倒くさいやり方はやめて、接続語の問題は「当てはめ方式」で解けばいいじゃないかという方もいらっしゃる事と思います。

しかし、これこそが入試問題における罠なのです!

中学入試で出題される文章、特に説明文や論説文は、難関校の問題になればなる程、小学6年生が日常使用している日本語レベルよりも遥かに高いレベルの文章が出題されます。

そこで日常会話レベルの言語感覚だけで接続語を繋ごうとすると、文脈が正確に読み取れていないので、間違えてしまいます。

稀に高度な言語感覚を持っていて、中学入試レベルの問題であれば、何となく当てはめてしまうだけで解けてしまう受験生も中には居ます。

しかし、ここにもう一つの落とし穴があります。

私立中学は大学の附属校でない限り、6年後に大学入試を控えております。

そして、接続語の問題は大学入試でも出題されるのです。

大学入試に出題される文章はほぼ100%論説文と言っても差し支え無いと思います。

それも、大学教授の書く研究論文の様な、到底私達が日常使っている言語感覚では太刀打ち出来ない様な難解な文章が出題されます。

「当てはめ方式」で接続語の問題を解いている受験生は、大まかに文章の流れを追って、その流れの中で、読んでいて違和感を感じない接続語を、その人の言語感覚で当てはめていくやり方で解いていきます。ですから、日常の言語感覚をはるかに超える様な文章に出会った場合、正確に文脈を捉える事が出来ず、当てはめても不自然と感じない接続語が選択肢の中から2つも3つも出てきてしまい、結果的に間違えてしまうという事態に陥ります。

実際、私が大学受験の際、それまでの「当てはめ方式」が全く通用しなくなり、それまで苦もなく正解出来ていた接続語の問題がさっぱり正解出来なくなってしまった経験があります。

一年目の大学受験に失敗し、浪人していた頃、某有名予備校の人気講師の講義を受講していた際に、初めて前後の関係を分析するという「ミクロな視点」を教えて頂き、目から鱗が落ちました。

その講義以降は全体の流れがつかみづらい文章でも、「ミクロな視点」を駆使して前後の関係さえつかめれば、接続語の問題は正解出来るようになりました。

どうですか?

接続語の問題を安易に自分の言語感覚で解いてしまう事の危険性が少しは分かって頂けたでしょうか?

それでは前置きが長くなりましたが、実際の入試問題を使って、接続語の問題を正しく解いていってみましょう。

少し古い問題ですが、平成25年度中央大学附属横浜中学の問題です。

 

桜の花びらがちり終わったころ、亜樹と毎日お弁当を食べる相手は、藤本さんだけになっていた。

美穂は、おしゃれ好きが集まっている田浦さんたちのグループにはいっていたし、矢島さんは、クラスの男子と仲のいい川辺さんたちとくっついていた。

このまま四人でなかよしになっていくと思っていた亜樹としては、ふたりがはなれてしまったのはショックだった。

美穂にあいまいな態度をとったのがいけなかったのだろうか、矢島さんにはもっとくやしそうにしてみせたほうがよかったのだろうか……となやんでみたところで、すでにふたりはいってしまった。まあでも、ひとりぼっちになったわけじゃないからいいかと思って、亜樹はそのまま藤本さんといっしょにいることにした。

(             )、おとなしい藤本さんとふたりきりですごす休み時間やお弁当の時間は、四人でいたときよりたいくつだった。

 

草野たき『リボン』より

 

問 (       )に入れるのにもっともふさわしい言葉を次の1〜5から選び、番号で答えなさい。

 

1. むしろ

2. もちろん

3. だから

4. だけど

5. どうやら

 

では、解いていきましょう。

まずは(      )の前を見ます。

すると「まあでも、ひとりぼっちになったわけじゃないからいいかと思って、亜樹はそのまま藤本さんといっしょにいることにした。」と書いてあります。

次に(      )の後ろを見ます。

すると「おとなしい藤本さんとふたりきりですごす休み時間やお弁当の時間は、四人でいたときよりたいくつだった。」と書いてあります。

(      )の前の文と後の文の関係を考えてみましょう。

前の文では亜樹が藤本さんと二人っきりになってしまった事に対して「ひとりぼっちになったわけじゃないからいいか」と亜樹が藤本さんと一緒に居る事に対して、どちらかと言えば+の心情である事が分かります。

後の文を見ると、亜樹は藤本さんと二人で過ごす休み時間やお弁当の時間について「四人でいたときよりたいくつだった」と藤本さんと一緒に居る事に対して-の心情に変化した事が読み取れます。

(        )の前後で+の心情から-の心情に変わった事が分かりましたので、(        )には逆接の接続語を入れれば良い事が分かります。

ここで初めて選択肢を見てください。

選択肢の中で逆接の関係を表す接続語は4の「だけど」しかありませんので、正解は4となります。

長々と書かせて頂きましたが如何でしたでしょうか?

今回強調させて頂きたいのは、接続語の問題を解くに当たって、絶対に「当てはめ方式」はしてはいけないという事と、文章、特に物語文を読む時は+と-の概念というのを頭に置きながら読んで欲しいと思います。

 

 

2020年度中学入試所感

こんにちは、たけちゃんです。

今回は私が今年送り出した受験生の結果から、私なりに考えた事を綴らせて頂きたいと思います。

現在、私の勤務している塾が横浜市にある為、取り上げる学校にかなり偏りがあると思いますが、そこの所はどうぞご容赦ください。

今年の中学入試が終わって、大きく前年度と違ったなと感じたところは二点ありました。

一つ目は中堅校が軒並み難化した事。

私の指導していた生徒の受験した学校で言えば、日本大学中、山手学院中、青稜中、関東学院中などが昨年に比べ、「狭き門」になったなという印象を受けました。

特に山手学院中の午後入試はかなりの「狭き門」だった様で、昨年までならまず合格出来たであろう実力を持った生徒たちが、こぞって不合格になってしまいました。

山手学院中の午後入試の難化については、昨年までは神奈川大附属中や中央大学横浜中などの共学難関校の併願校として人気でしたが、今年は所謂「神奈川御三家」の志願者達が多数参戦してきた為、難化してしまったのではないかと個人的には考えております。

二つ目は入試問題の出題形式の大幅な変化です。

例えば、私が家庭教師で指導していた生徒の志望校であった鎌倉学園中ですが、学校説明会で最後の大問を資料や会話文を読み、それについてわかったことや、意見を書くという問題が新たに追加されることが発表されました。

お母様よりこの情報を伺った際に、私はおそらく公立中高一貫校型の問題が出題されるだろうと予測し、それまでのオーソドックスな国語の指導に加え、適性検査型の問題の対策も行っていきました。

その甲斐あってかは分かりませんが、その生徒は見事に鎌倉学園中の合格を勝ち取ってきてくれました。

他にも私が塾で指導している生徒に、入試の終わった後、日本大学中の問題を見せてもらったのですが、従来の選択問題と抜き出し問題ばかりだった問題とは異なり、記述問題が新たに出題されていました。

おそらく、こういった私立中学における入試問題の出題形式の変化は、今年騒がれた大学入試の記述式問題導入の改革を受けての事だったのでしょう。

結局、大学入試における記述式問題の導入は見送られましたが、おそらく大学入試でも早晩何らかの出題形式の変化が予想されますし、現在の教育の流れも「暗記型教育」から「自ら課題を見つけて、問題を解決する教育」へと移り変わってきています。

おそらく来年度以降も「思考力」や「表現力」を重視した出題傾向が増えてくる事でしょう。

 

指示語問題の解き方と出題者の狙い

今回は入試頻出問題である指示語問題について書かせて頂きたいと思います。

文章に書かれている指示語は、基本的に筆者と読者の間で「何を指している言葉か」について、共通認識出来ている言葉を指します。

では何故筆者と読者との間で共通認識出来ているはずの言葉の指示内容を確かめるのか?

それは、問題とされている指示語が何を指しているかの共通認識が出来ていない=筆者との共通認識が成立していない=「文脈を正確に追えていない受験生」を炙り出す為にはうってつけの問題だからです。

ですから、問題を解く側の我々は、筆者との共通認識が出来ている=文脈が正確に追えている事を出題者にアピールしなければなりません。

では、具体的にどの様な手順で指示語問題を解いていくのかを説明していきたいと思います。

私がいつも授業で教えている指示語の解き方は次の4ステップです。

 

1. 前後見て

2. ヒント探して

3. 前戻る

4. 当てはまったらそれが正解

 

先生方の中には「指示語の問題はとにかく前を見なさい。」とおっしゃる方も多いと思います。

しかし、闇雲に前に戻っただけでは正確に文脈を押さえて、指示語の指示する内容を正確に突き止める事は出来ません。

ですから、私が指示語問題を解く際に常に生徒たちに意識させているのが、2.の「ヒント探して」の部分なのです。

指示語を含む前後の文脈から、指示語の指示内容を突き止める手掛かりを掴んだ上で、前に戻りましょうというものです。

では、具体的に例題を用いて考えてみましょう。

平成29年度東京都市大等々力中学校の問題です。

 

京林病院は春日部の駅から歩いて数分のところにある。このあたりでは、たぶん一番大きな病院だ。

 いつもこの病院に魚を配達してるわび助が先導する形で、ぼくたちは正面入口から入り、菅野桃子さんは入院してますか、と受付で聞いた。ぼくは心の中で祈っていた。受付の人が、そんな患者さんはいませんけど、と言ってくれるのを。それはほかの三人も同じ気持ちだったはずだ。

 でも、そんなふうにはならなかった。パソコンの端末を操作していた白衣の女の人が、808号室ですね、とあっさり言った。ありがとうございます、と暗い声でお礼を言って、ぼくたちは奥へと進んだ。

 

五十嵐 貴久 『ダッシュ!』 より

 

問い

そんなふうにはならなかった。とありますが、「ぼく」はどうなる事を期待していたのですか。説明しなさい。

 

まず傍線部に「そんなふう」という指示語があるので、「ああ、これは指示語の問題だな」と確認します。

次は指示語の前後の文脈からヒントを探します。

でも、そんなふうにはならなかった。」

指示語の前に逆接の「でも」があるので、「ぼく」が想定していた事とは逆の内容が「そんなふう」の指す内容だと見当がつきます。

ここで初めて前に戻ります。

果たして「ぼく」はどんな事を予想していたのだろうと考えながら戻ります。

すると、前の文中に「僕は心の中で祈っていた。受付の人が、そんな患者さんはいませんけど、と言ってくれるのを。」という部分がある事に気付きます。

「祈っていた」という表現は、問題文の「ぼく」の期待していた事にも当てはまりますし、「ぼく」がいい意味で想定していたという内容にも合致しますので、受付の人が言った「そんな患者さんはいませんけど。」が「そんなふう」の内容であり、「僕の期待していた事」を指す部分だと分かります。

つまり、「僕」は「受付の女の人」が「そんな患者さんはいませんけど。」と言ってくれる事を期待していたのだと分かります。

まだここで終わりではありません。

「受付の女の人」は「そんな患者さんはいませんけど。」と言っていましたね。

ここにまだ「そんな」という指示語が登場します。

では次に、「僕」は「受付の人」がどんな患者さんがいないと言ってくれる事を期待していたのかを考えながら、前に戻ります。

すると、僕たちが受付で「菅野桃子さんは入院してますか。」と聞いている部分がある事に気がつきます。

「入院していますか。」と聞いているのですから、「そんな患者さん」は「菅野桃子さん」を指しているのだと分かりますね。

ですから、「そんな患者さん」の「そんな」の部分を「菅野桃子という患者さん」と具体化してあげれば、解答が完成します。

 

解答

受付の女の人が、菅野桃子という患者は入院していないと言ってくれること。

 

主語を忘れずに!

それから、「期待していた」事を書くので、単に「言うこと」と書くよりも、「言ってくれること」と書いた方が、「僕」の期待している感じが出ますよね。

あとは当たり前の事ですが、「どうなること」と聞かれているので、文末は「こと」で終える様にしましょう。

私が普段教えている生徒達の中にも、こういう基本的な条件を無視した為、減点されてしまうケースが多々見られます。

注意しましょう。

以上、長々と書かせて頂きましたが、「指示語問題の解き方」についてなるべく丁寧に解説させて頂きました。

 

 

 

思い出の授業

こんにちは、たけちゃんです。

前回の記事に関連して、私が15年前に行った、今でも印象に残っている授業について書きたいと思います。

当時、私が勤務していた塾は、一応カリキュラムはあったのですが、それ程カリキュラムに縛られず、ある程度講師の裁量でやりたい事をやらせて下さる塾でした。

そこで私は15年前の6年生の国語の授業の際、ある私立中学校の過去問の文章だけを生徒に配布してこう言いました。

「これから君達にこの文章を使って問題を作ってもらいます。勿論解答も自分で作って下さい。その際、誰もが納得できる解答の根拠と、その問題を通じて君達が受験生のどういう国語力を測る為に作った問題なのか、出題の意図も教えて下さい。」

生徒達はざわつきました。

でも、彼らは今まで自分が「解かされてきた」問題を、今度は出題する側の視点に立って、「自分が中学校の先生だったら、どういう生徒が欲しいか。」「では、自分が欲しいと思った生徒を合格させるには、どの様な問題を作ったら良いか。」「その解答の根拠は万人が納得できる客観性のあるものなのか。」を必死に考え、次々と力作を作ってくれました。

次の時間は皆が作ってくれた問題を互いに解き合い、出題者から出題の意図と解答、解説をしてもらい、他の生徒達からはその問題に対しての意見を言ってもらいました。

授業では喧々諤諤のなかなか白熱した議論が展開されました。

授業後、生徒達からは「今までは何も考えず、ただ与えられた問題を解いていただけだったけれど、今回の授業で出題者がどういう狙いを持って出題しているのかを意識出来る様になった。」「問題を作る人はあらかじめその答えを持っていて、その答えは正しい手順を踏めば、必ずたどり着ける様に作られている事が理解出来た。」等々、嬉しい感想を聞く事ができました。

その後の授業でも、彼らと授業をする際は、ただ問題の解説をするのではなく、「この問題の出題者の狙いは何か。」とみんなで考えながら解いていく事で、生徒達に多角的な視点を持って問題に取り組んでもらう事が出来る様になりました。

彼らは決して最難関校を目指すような学力の高い生徒ばかりではありませんでしたし、この授業をきっかけに全ての生徒が飛躍的に国語の読解力が向上した訳でもありません。

しかし、中には問題の向こう側に「出題者」の存在を意識しながら読解問題を解く様になった結果、読解力が飛躍的に向上した生徒も中にはおりました。

自分の伝えたかった事を伝えることが出来、生徒も同じ思考で読解問題に向き合ってくれる様になったという点で、15年前のこの授業は今でも心に残ってます。